遊歩クラブ21は健康食品で人気の知多半田のミツカン博物館「酢の里」見学と南知多町の魚市場「豊浜ひろば」
散策と荒磯の「まるは食堂」名物エビフライと天然温泉「うめの湯」
を楽しんできました。

行き先

愛知県半田市中村町              
愛知県知多郡南知多町豊浜相筆

平成21年5月28日

健康食ブームのなか愛知県半田市にある日本で唯一の酢の総合博物館を訪れ酢の健康を勉強してきました。

半田中埜(はんだなかの)
酢の里

株式会社「中埜酢店」
レトロな建物の奥に立派な新館がそびえていました。

酢の総合博物館「酢の里」はミツカン本社の隣にあります。

時節がら入館には手の消毒やマスク着用でした。

映像ホールで酢の勉強と試飲をして博物館へ

酢は400万年前から使われている
人類400万年の歴史、その中で最も古くから使われている調味料が、塩とお酢だそうです

見学コースへ

資料室では昔の酢づくりの道具などが展示してあります。

錆びさせないため道具は木製が殆どです。

醗酵室
酢になるまで3年間寝かせるそうです。

                   クレオパトラも美貌を保つ為に酢を愛用
 酸味の強い果実の絞り汁から始まって、次第に本格的なお酢へと進化しました。古代エジプトの女王、あのクレオパトラも美貌を保つ為に酢を愛用したといわれます。

十ヶ川の入江ぞいに昔ながらの倉庫郡が並びます。

は英語で「ビネガー」
酢の主成分はは酢酸(さくさん)です。
酢の作り方:穀物や果実などを原料にした酒に酢酸菌を加え、醗酵させるとアルコール成分が酢酸に変わる「酢酸発酵」作用
利用して作ります。                                                                    
英語でビネガーの語源はフランス語の「ビネーグル(Vinaigre)」で、もともと、「酒が酸っぱくなったもの」という意味がある。

古今の「酢の里」比較(博物館「酢の里」パンフレットより)

酢の歴史
酢は塩と同じで「人類最古の調味料の一つ」と言われています。
酒に「酢酸菌」が偶然に付着して醗酵したのが酢の起源とされています。
紀元前5000年ころにはメソポタミア南部バビロニアで、ナツメヤシや干しブドウを利用して、
酢を造っていたことがわかっています。                                 
日本では
4〜5世紀頃、酒造技術と共に中国から伝わり、和泉の国(現在の大阪府南西部あたり)で
造られるようになったのが始まりとされています。                           
平安の貴族は生魚や干し魚に、酢や塩をつけるのを好んだとされますが、当時酢は、ぜいたく品でした。

調味料として一般に広まってのは江戸時代で、「握りずし」が庶民の間で人気を集めると、すし飯に使う
酢も大量に必要とされ、この尾張地方の業者から、酒粕(さけかす)を使って醸造した「粕酢(かすす) 
が、盛んに出荷されるようになりました。                                        

           ミツカン酢半田工場生産大幅縮小
 最近の新聞によると半田工場の老朽化により、生産を1/10に縮小すると報道されていました。
 《1811年開設。3万平方bに運河を挟み黒壁の第1〜第3工場が隣接する。
 2001年には環境省の「かおり風景100選」に、08年度には経済産業省から「近代化産業遺産」の認定を受けた。
 工場エリア内の博物館「酢の里」の運営は今後も続ける。
 工場自体に産業遺産としての価値があるため、行政と協議して景観の保存を検討する。》   (中日新聞記事より)

次は
終戦後豊浜で「魚屋まるは」と併設の食堂を経営の「名物ばあさん」が立派にした荒磯の「まるは食堂」と「うめの湯」
を訪れました。

豊浜まるは食堂

「まるは食堂・旅館」と天然温泉「うめの湯」別館で一休み

名物のエビフライ
名物のデッカイえびふらいがメインの昼食で一同満足

トンビがキャッチ
食事が終わった頃を見計らってトンビが
山から降りてきて窓からエビの尻尾などを投げると
争そってキャッチ。その上手さに一同驚き!

別館の天然温泉は入浴料500円

湯船からの眺めは最高!

腹ごしらえが出来たら豊浜の「魚ひろば」へお土産をgetに

豊浜 魚ひろば

     祭りの「大鯛」が目印
 外国の切手にも使われた豊浜の「鯛まつり」の大鯛が目印の「魚ひろば」
新鮮な魚と乾物の品揃えで我々を待て居てくれました

豊浜港には漁を終えた漁船が休んでいました。

 S,H 帰りには雨も上がりましたが曇天は残念でした