三菱東京UFJ銀行貨幣資料館は、名古屋市東区赤塚町にあり日本および世界各国の紀元前からの
珍しい貨幣約1万点が展示されている、日本有数のコレクションで入館料無料です。
旧資料館の建物は昭和元年(1925年)に旧東海銀行(三菱東京UFJ銀行)本部として建築され、当時の銀行建築として名古屋を代表するもので、名古屋市都市景観重要建築物に指定されていました。 |
紀元前から現在までの海外の貨幣や日本の貨幣史にまつわるものなど、約1万点を展示する資料館。
民間では日本一と言われるだけあり、珍しい展示品が多数揃っています。
万両箱 |
1億円束と千両箱 |
一億円の重さが体感できます。
千両の小判の重みも体感できます
江戸時代の両替模擬店
財布・巾着・札入れ |
日本の貨幣の歴史 |
和同開珎より古い貨幣があるとは知りませんでした!
富本銭(ふほんせん) |
|
日本最初の貨幣とさています。 |
富本銭と鋳棹(複製) |
藤原京(ふじわらきょう)の官営工房だった飛鳥池(あすかいけ)遺跡で7世紀後半に鋳造されていたことが明らかになっていますがまだ出土例も少なく、通貨としての価値や流通範囲など、課題も多く残されています。 |
富本銭について最近の情報を2件掲載します。
富本銭(ふほんせん)、日本最古の貨幣をめぐる最新情報@
地鎮用、ぶ厚く |
富本銭(ふほんせん)、日本最古の貨幣をめぐる最新情報A |
番組に出品された「富本銭」 番組に出品された「富本銭」は東京都八王子市在住の音田さんが今から拾数年前(1990年代)に古銭収集家の交換会に出席した際「盆回し」と言われるお盆に載せて出席者間を回ってきた「富本銭」らしきものを2万円で落札して現在まで保管してきた。 |
番組での「富本銭」について説明 ◎「和同開珎」埼玉県秩父市で八世紀始めに銅山が発見されことを記念して708年に発行された。 |
◎「皇朝十二銭」 その後約250年間に11種類が銅貨発行され上の「和同開珎」を含め「皇朝十 二銭」という。 |
|
|
|
◎「富本銭」が日本最古の銅銭と認められなかった理由 |
◎江戸時代の「絵銭」に「富本銭」が造られていた。 |
しかし |
|
|
もう一つの証拠 |
その後の確定事項 |
藤原宮跡で出土した「富本銭」 |
もう一つの確定事項 鑑定額は「1千万円」 |
ここで三菱東京UFJ「貨幣資料館」に戻ります。
和同開珎の銭范(鋳型)破片 |
和同開珎銅銭(新和同)鋳造に使用された鋳型の残欠です。 |
和同開珎銅銭(新和同) |
|
我国最古の貨幣 |
皇朝十二銭(こうちょうじゅうにせん) |
日本最初の銅銭とされる和同開珎(708年)から平安時代中期の天徳(てんとく)2年(958年)に乾元大宝(けんげんたいほう)が発行されるまで約250年の間に12種類の銅銭が発行されました。 |
武田信玄と甲州金 |
両目の単位の元祖 |
大判の歴史 |
ひるも金(蛭藻金=十六世紀) |
大判の元祖 |
天正大判(天正16年=1588) |
初めての大判 |
大判の墨書きについて |
「拾両 後藤」 |
私鋳の鐚銭(びたせん)と豊臣秀吉の銀貨 |
太閤銀銭 |
江戸時代
慶長大判(徳川家康が作らせた大判) |
二代目大判 |
大判の使い方 |
元禄大判(五代将軍徳川家綱の在代) |
徳川幕府は初めての金銀貨の改鋳を行いました。 |
享保大判(享保の改革・八代将軍徳川吉宗の時代) |
純度を慶長大判まで戻す |
|
天保大判(天保九年=1838) |
|
天保大判(てんぽうおおばん)とは天保9年(1838)6月24日より発行された大判である。 吹替え(改鋳)によるものではなく、享保大判と同形式であり金品位も近く、吹増大判(ふきましおおばん)あるいは吹継大判(ふきつぎおおばん)とも呼ばれる。 天保8年(1837)8月から鋳造された五両判はもともと大判座の後藤十五代真乗が発案したものであったが、通貨であることを理由に金座に鋳造担当を奪われたことから大判座の財政難対策に苦慮していたところに登場した大判鋳造であり、大判座救済策の意味合いもあったとされる。 |
小判の歴史 |
慶長小判(初代将軍徳川家康の時代) |
統一通貨(金・銀貨)の発行 |
天保五両判発行(天保八年=1837) |
経済発展による通貨不足対応 |
江戸時代の銭貨 寛永通宝・長崎貿易銭 |
|
江戸時代の銀貨 |
元禄丁銀 |
慶長丁銀 |
慶長豆板銀 慶長六年(1606年) |
元禄豆板銀 元禄八年(1686年) |
二ッ宝豆板銀 宝永三年(1706年) |
四ッ宝豆板銀 正徳三年(1711年) |
鋳放し銭 寛永通宝(日本・江戸時代) |
宝永通宝鋳造の坩堝 |
銭さし |
銭 刀 (ぜにがたな) |
刀は金入れ道中差といって財布の用をも兼ねた旅行用の刀です。 |
符合泉志(ふごうせんし)の版木 |
昔からコイン収集はあった! |
徳川家の定紋付千両箱 |
殿様の手元用千両箱 |
包 銀(つつみぎん) |
包 銀 包 銀 包 銀 |
天保一分銀 100個・・・合計 25両 |
嘉永一朱銀 100個・・・合計6両1分 |
天保二朱金 8個・・・合計1両 |
江戸時代の藩鋳貨幣 |
文久貨泉 銅銭 当百 文久元年(1861年) 睦中(岩手県) 文久鉱山通用 |
文久貨泉 銅銭 半百 文久元年(1861年) 陸中(岩手県) 文久鉱山通用 |
秋田藩 銅山至宝 当百 文久三年(1863年) |
盛岡藩 八匁銀判 慶応四年(1868年) |
幕末の藩鋳貨幣と木札 |
木札 幕末には通貨事情の悪化によって、各地では小額貨幣が不足してきました そこで、急場しのぎのために金属貨幣や藩札の代用として、 小さな木の板に焼印を押した「木札」が使われました |
||
駿河国(静岡県) 島田宿 島田通用木札 百文(大井川) |
越後国(新潟県) 木札銭 25文 |
越後国(新潟県) 木札銭 二百文 |
各藩・宿場で発行された貨幣 | ||
仙台藩 細倉 当 百 文久二年(1862年) |
米沢藩生産局 角型 鉛銭 慶応二年(1866年) |
仙台藩 生産局 丸型 鉛 銭 慶応二年(1866年) |
加越能
七百通用銭 |
碓氷峠(群馬県) 鉛切手銭 目方八匁 ・代二十四文幕府 |
薩摩藩 琉球通宝 半朱文久二年(1862年) |
藩 札 |
奈良府(奈良県) |
越前(福井県) 福井藩 |
武蔵通商司商社 |
米切手(米手形) 1.「米切手」の発生 2.米切手による資金調達 3.米切手の形式 4.米切手の運用 |
|
藩札の版木 1.お札の製造では、偽造されにくいことが第一の条件で、 2.版木は表・裏を別の版木に彫刻し、簡単なものは一度に数枚 |
藩 札 500枚封 |
明冶時代
太政官布告偽金禁制の高札 |
|
明治初年に流通していた貨幣は製造に特殊な工夫が施されていなかったので、
偽金や偽札が横行しました。 |
明治時代の金貨 |
試鋳金貨 |
一円金貨 一円金貨 二円金貨 五円金貨 十円金貨 二十円金貨 明治7年 純金量 1,5g 明治4年 純金量 1,5g 明治4年 純金量 3g 明治3年 純金量 7,5g 明治4年 純金量 15g 明治3年 純金量 30g 明治9年 純金量 1,5g |
新金貨(金本位制確立) 明治30年(1897年)に「貨幣法」が発布され「金本位制度」が確立しました。 |
太政官札・民部省札 |
西洋式の紙幣第一号 |
旧国立銀行紙幣 |
旧東海銀行の前身銀行発行の紙幣 |
第十壱国立銀行 旧東海銀行(現三菱東京UFJ銀行)発行の紙幣 |
明治時代の政府の紙幣 |
10円券(発行 明治十六年) |
日本銀行発行の最初の紙幣 |
|
10円券(発行 明治18年) |
1円券 (発行 明治18年) |
明治の二銭銅貨 100個・・・2円 |
貨幣製造用刻印 |
|
造幣局銀貨鋳造の坩堝(るつぼ) |
悲惨な第二次世界大戦の歴史
幻の貨幣「陶貨」 |
|
ここからは世界の貨幣を紹介します。
世界の貨幣 |
古代ギリシャ最古の貨幣 古代ギリシャで発行された最古の貨幣。 当時は精錬技術が未熟なため、金と銀との自然合金(エレクトラム)が貨幣として使用されていました。 表面は獅子頭、裏面は押し型(インキューズ)が打刻されています。 他に高額面の1ステータ金貨があります |
|
古代ギリシャ最大の銀貨 古代ギリシャ時代二発行された最大の銀貨。シラクサは、 通貨単位の”デカ”は、ギリシャ語で10を意味します。 表面のデザインは、4頭立ての走る馬車(戦車)の上に 古代ギリシャ・コインの中で、当時の文化水準の高さを |
|
古代ローマ最大の銅貨 共和制ローマ時代の紀元前300年頃から発行されていた銅貨で 表面は、双頭の神ヤヌスを表し、裏面は船の舳先をデザインしています。 この事実からも、古代から既にインフレーションが起こっていたことが |
|
エジプト・プトレマイオス朝 これに反対するローマの元老院およびオクタピアヌス(後の初代ローマ皇帝)とので |
|
この貨幣はエジプト王朝の滅亡と、古代ローマが共和制から帝政へ移行する過渡期の |
|
|
ビザンツ帝国(東ローマ帝国)の貨幣 |
ローマ帝国の貨幣 |
イスパニア銀貨 |
ドイツ連邦共和国 |
大航海時代のコイン 大航海時代が始まると、地中海国家からスペイン・ポルトガル |
古代中国の貨幣
1.世界最古の貨幣は中国から
中国文化の歴史は大変古く、そして中国貨幣もまた3.000年の長い歴史を持っています。
中国大陸に面する海は黄海と呼ばれ、黄色に濁った海でその浜辺には
白砂がなかったので美しい「貝」はいませんでした。
2.貨幣の元祖は「貝」であった
光輝く美しい「貝」は遠く南の海から珍しい宝物としてもってこられ、これが装身具となり、
また同時に物と元を交換する道具としての「貨幣」のや蔵利を果たしたのです。
そしてその証拠となるものは何か?それは今も我々が使っている漢字の中でお金に関係のある文字、
例えば「貨・財・買・購・貯・販・貴・賃・費・負・債・質・償・貧」など、
中国貨幣の元祖たるものが「貝」であったことを物語っています。
3.青銅貨幣の鋳造
その後、青銅器の鋳造が盛んとなり周代には金属貨幣があらわれ、それはちょっと変わった形の
魚弊・盤弊・布弊・刀弊などと呼ばれる青銅貨幣でした。
それらの貨幣は干魚・漆器・農具・刀の形にできており、これらのお金が使われたのは
春秋戦国時代(「紀元前8世紀から前3世紀)のことでした。
紀元前の中国貨幣 |
左の方:刀の形の貨幣 中央は:農具=鍬の形の貨幣 右上は:干し魚の形の貨幣 |
|
銅製貨幣 石製貨幣 骨製貨幣 加工貝貨幣 世界最古の貨幣(タカラ貝)殷時代 |
|
|
|
鋳放し銭 光緒重宝(中国・清時代1875年〜) |
|
前漢・新・後漢・三国 |
|
大型馬蹄銀 |
印子金(中国
明時代) |
|
華僑貿易銀 |
鋳放し銭 光緒重宝(中国・清時代1875年〜) |
壯泉四十銭 漢半両の石笵(せきはん=石製鋳型) |
|
安南(ベトナム) 安南(ベトナム) |
|
南洋マーシャル群島の貝貨 |
超大型銅板貨幣 |
左:1ダーレル銅貨・1733年 右:2ダーレル銅貨・1734年 |
インド土候国の銅貨 |
よく漫画などで見かける石の貨幣
|
この建物が銀行だった頃から据え付けられていた大金庫
自分の体重と背の高さを一万円札に換算できる楽しいコーナー
じっくりと見ると半日は掛かります。ぜひお出かけください。
最後までご覧いただきありがとうございました。 |